知事や市長の失言や暴言について

地方自治体の重大なミス

静岡県知事川勝平太氏の発言に関するマスコミ報道について

 川勝知事(当時60歳)は2009年の静岡県知事選挙において、自由民主党と公明党が推薦した女性議員との接戦の末に勝利して、以降、現在静岡県知事4期目の任期中である。自民党推薦議員を倒し続けて当選している知事として、個人的に注目していた政治家である。

 本年4月1日、静岡県庁の新規採用職員らへの訓示の際に「毎日毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかとは違い、基本的に皆さんは頭脳、知性の高い方。それを磨く必要がある」との発言を行ったことで世論の大きな批判を受け、翌2日の会見で「6月の議会をもってこの職を辞そうと思う」と述べ、県知事辞意を表明されたことがニュースとなっている。

 厳しい採用試験を突破して入庁してもらった新採用職員の意欲を高めようとしたのだろうが、報道機関が来ている場での発言としては失敗だった。

 過去にも具体的な個人名やリアルな表現をすることで、たびたび話題になったことも記憶しているが、批判を受ける一方で、知事自身の思っていることがわかりやすいという点も特徴の一つとして県民に受け入れられていたのだろうと想像している。

 昭和から平成初期にかけては、大物政治家や地方自治体の首長による「一定程度の範囲内での過度あるいはリアル過ぎる表現や発言」は「強いリーダー像の一つ」として、あまり批判を受けない状況(むしろ人気が上がる状況)が見受けられていた。(※特別過ぎるかもしれないが、田中角栄氏や石原慎太郎氏などの例)

 しかしながら、近年では「効果的な施策がない」ことよりも「失言をする」ことの方が強い批判を浴びるような時代になってしまったように思う。個人的には、「多少の失言はあるが、効果的な施策を推進している」のような特徴がある知事や市長を好んでいるため、現代の流れは寂しく感じてしまう。

 ただ、今回の川勝知事の発言については、やはり不注意だったと言わざるを得ない。知事の一つの失言により、各現場で働く職員が(知事の代わりに)住民から色々とクレームや不満を言われやすくなり、円滑な地域福祉やサービスの提供が行えなくなる可能性をはらんでいる。

 知事や市長のみならず、社長等のリーダーの才能のひとつは、「自分の代わりとなって現場で働く職員に、持っている能力を十分に発揮させること」であると考えている。

 そういう意味では、従事者の労働意欲がどのように変化するのかを十分に検証した上での発言を行わなければならず、多様な考え方を持つ者が増加している社会で生き残れる組織作りはかなり困難な時代である。

 長年注目してきた知事の辞意発表のニュースを見て、少し寂しく感じつつ、川勝知事が既に75歳に到達していたということも知り、世代交代の時期という点からも心から「お疲れさまでした。」と伝えたい。

 

 

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